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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)108号 判決 1995年3月14日

アメリカ合衆国、12305、ニューヨーク州

スケネクタデイ リバーロード 1番

原告

ゼネラル・エレクトリック・カンパニイ

同代表者

バーナード・スナイダー

同訴訟代理人弁理士

安達光雄

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 高島章

同指定代理人

森竹義昭

市川信郷

関口博

主文

特許庁が昭和59年審判第10888号事件について平成3年11月21日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1  当事者が求めた裁判

1  原告

主文と同旨の判決

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、1979年6月11日米国特許出願に基づく優先権を主張して、昭和55年4月22日、名称を「触媒の不存在下に粉末六方晶窒化硼素から立方晶窒化硼素を製造する方法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(特願昭55-53467号)(以下「本願」という。)をしたが、昭和59年1月11日、拒絶査定がなされたので、同年6月11日、審判請求をするとともに手続補正書を提出したところ、昭和61年1月27日、出願公告され(特公昭61-2625号)、これに対して特許異議申立があり、前置審査が解除された。

特許庁は、上記審判請求を昭和59年審判第10888号事件として審理し、平成3年11月21日、「本件審判の請求は成り立たない」との審決をなし、その謄本は、平成4年2月3日、原告に送達された。なお、原告は在外者であるため出訴期間として90日が附加された。

2  本願発明の要旨(特許請求の範囲の記載のとおり)

(ⅰ) 55~80キロバールの圧力で、

(ⅱ) 1600℃~再変換温度の温度で、

(ⅲ) グラファイト状六方晶窒化硼素を立方晶窒化硼素に変換し、立方晶窒化硼素を焼結させるのに充分な時間、および

(ⅳ) 立方晶窒化硼素への変換または立方晶窒化硼素の焼結を妨害する不純物の不存在下に、グラファイト状六方晶窒化硼素を高圧-高温に曝すことからなるグラファイト状六方晶窒化硼素から立方晶窒化硼素を製造する方法において、

立方晶窒化硼素に変換する前にグラファイト状六方晶窒化硼素の表面から酸化硼素を除去する予備処理工程を含み、この、予備処理工程を減圧焼成で達成し、かつグラファイト状六方晶窒化硼素熱分解範囲の温度で行ない、硼素の被覆を酸化物不含六方晶窒化硼素の表面に発生させることを特徴とする六方晶窒化硼素から立方晶窒化硼素を製造する方法

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)  引用例の記載

<1> 米国特許第4150098号明細書(以下「引用例1」という。)には、

HBN(hexagonal boron nitride六方晶窒化硼素)の直接変換によりCBN(cubic boron nitride立方晶窒化硼素)を製造する方法に関するものであり、

(ⅰ) 変換条件として

50~90キロバールの圧力条件と

1800℃~3000℃の温度条件

が記載され(アブストラクト、クレーム)

(ⅱ) 反応帯域中に水分及び酸化硼素が存在すると変換反応に悪影響を及ぼすことから、この点にも注意を払うべきこと

が記載され(3欄15行ないし19行)

(ⅲ) 直接変換法により高強度のCBN多結晶凝集体(high-strength polycrystalline aggregates of CBN)が得られること、

このものは単結晶CBN(monocrystalline of CBN)の機械的特性よりも優れていること

が記載されている(3欄52行ないし64行)。

前述(ⅱ)の記載は、反応帯域中に導入する原料HBNについても水分、酸化硼素はこれを予め取り除くべきことを意味するものであり、すなわち、引用例1には、原料HBNを予め酸化硼素を除去する予備処理工程を含み、その後、六方晶窒化硼素を50~90キロバール、1800~3000℃の条件で立方晶窒化硼素に変換し、高強度のCBN多結晶凝集体を得る方法が記載されている。

<2> 米国特許第4089931号明細書(以下「引用例2」という。)には、窒化硼素を、酸化硼素を蒸発するに充分な時間及び温度にて真空中で加熱処理する工程、次いで、塩素に曝し、前記工程中に形成された元素状硼素を塩素化し、元素状硼素を三塩化硼素として除去する工程からなる窒化硼素の精製(高純度化)方法が記載されている(クレーム1、アブストラクト)。

窒化硼素を加熱して酸化硼素を除去する従来方法、及び酸化硼素除去操作温度での窒化硼素の分解を抑えるために窒素雰囲気を流しながら加熱して酸化硼素を除去する従来方法は、酸化硼素を0.3重量%程度にまで低下することができるが、窒素圧力法は、少しでも酸素あるいは湿分が存在すると窒化硼素(BN)から酸化硼素(B2O3)を除くよりはむしろ酸化硼素を生成、形成するおそれがあるものである(1欄発明のバックグラウンド)のに対して、前述真空加熱処理は、窒化硼素の分解、及びこの分解により電導率の増加につながる元素状硼素の生成、形成を伴うものでもあるが、酸化硼素を実質上すべて除去するものであり、副生する元素状硼素及びこれに伴う欠点は後段の工程によって取り除き、解決するものである(2欄前段の記載)。

(3)  本願発明と引用例1記載の発明との対比

<1> 相違点

本願発明は、(a)出発六方晶窒化硼素をさらに限定している点(相違点(a))、(b)「立方晶窒化硼素への変換または立方晶窒化硼素の焼結を妨害する不純物の不存在」を製造条件としている点(相違点(b))、及び(c)酸化硼素の除去手段を、「減圧焼成により達成」すること、かつ「グラファイト状六方晶窒化硼素熱分解範囲の温度で行ない、硼素の被覆を酸化物不含六方晶窒化硼素の表面に発生させること」により行なうこと、を要件事項としているのに対して、引用例1記載の発明は、これらの事項についての記載がない点(相違点(c))

<2> <1>以外の点で一致している。

(4)  相違点についての判断

<1> 本願明細書には、六方晶窒化硼素は各種の製法によって得られること、その製法により結晶構造ないしは組織構造に違いが認められること、その一つにグラファイト状窒化硼素があり、この出願前既知であること等について論及した記載、及び、グラファイト状のものにおいて減圧焼成による硼素被覆処理は必ず必要であると考えられる、とする記載はあるにしても、直接変換法により立方晶窒化硼素を得る方法において、グラファイト状六方晶窒化硼素を使用した場合とこれ以外の六方晶窒化硼素を使用した場合の作用効果に言及した記載はなく、グラファイト状六方晶窒化硼素が特に優れ、思いもよらぬ作用効果を奏することを示唆する記載もない。そして引用例1は、その六方晶窒化硼素を限定する記載はないとしても制限するものではないところから、グラファイト状六方晶窒化硼素を含むものであり、本願発明の相違点(a)は、引用例1の六方晶窒化硼素を、その含まれる一態様のものに単に限定したものにすぎず、その効果も予想し得るところを出ないものである。

<2> 本願発明は、立方晶窒化硼素への変換又は立方晶窒化硼素の焼結をねらいとするものである。

してみれば、該変換又は焼結に際し、これを妨害する不純物の不存在を条件とすることは当然のことにすぎず、この点は、引用例1も記載はないとしても当然含むもので、本願発明の相違点(b)は当然の条件を単に規定したものにすぎない。

<3> そして、引用例2記載の技術は、直接法による立方晶窒化硼素を得るための出発六方晶窒化硼素を対象とする、ないしはそのための精製法である、との記載はないが、また、元素状硼素を分離する手段、工程をも含むものでもあるが、その第1段の真空加熱処理は、窒化硼素中の酸化硼素を完全に分離する窒化硼素の精製ないしは高純度化技術であり、引用例1の酸化硼素、水の除去のための予備処理を実施する手段として適用し得る技術でもあるところから、元素状硼素の生成、存在を特に排除する必要性はない、ないしは積極的に元素状硼素を生成させることまでも意図するかぎりにおいては、引用例2の第1段の元素状硼素の生成を伴う酸化硼素の完全分離手段、すなわち真空加熱処理を引用例1記載の発明に適用することに何ら格別の困難性はない。

すなわち、本願発明の相違点(c)は、引用例1の立方晶窒化硼素を得る方法の技術を引用例2の精製技術の適用によって行なうものにすぎず、当業者の容易になし得る程度のことであり、その効果も予想し得るところを出ない。

(5)  むすび

以上のとおりであるから、本願発明は、その出願前頒布された引用例1及び2に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることはできないものである。

4  審決を取り消すべき事由

(1)  審決の理由の要点中、(2)(引用例の記載)の、<1>の「前述(ⅱ)の記載は、反応帯域中に導入する原料HBNについても水分、酸化硼素はこれを予め取り除くべきことを意味するものであり、すなわち、引用例1には、原料HBNを予め酸化硼素を除去する予備処理工程を含み」との部分を除き、その余の部分は認める。同(3)(本願発明と引用例1記載の発明との対比)のうち、原料HBNを予め酸化硼素を除去する予備処理工程を含む点で一致することは争い、その余は認める。同(4)(相違点についての判断)のうち、<1>及び<2>(相違点(a)及び(b)に対する判断)は認め、<3>(相違点(c)に対する判断)は争う。同(5)は争う。

(2)  取消事由

<1> 引用例1の記載の認定の誤り

審決は、酸化硼素を除去する予備処理工程が引用例1に記載されていると誤って認定した結果、一致点の認定を誤った。

引用例1には、予備処理工程を施すことは開示されておらず、まして、予備処理工程を減圧焼成により達成することや、それにより酸化硼素の除去に続き硼素被覆を生ぜしめることを示唆する記載はない。すなわち、引用例1には、反応帯域における水及び酸化硼素の存在は変換工程の操業に悪影響を及ぼすから、技術的操業を行なうときにはこれらの要素も考慮に入れるべきである旨の記載(甲第3号証訳文6頁14行ないし17行)はあるが、そこでいう「酸化硼素」は反応帯域中にどのような形で存在するものを意味するのか、また、酸化硼素の存在による悪影響があり、操業にあたって考慮すべきであるとしても、それではどうすればよいのか、実施例を含め明細書には全く開示がなく、まして、酸化硼素を除去するための予備処理工程を要する旨の記載は全くなく、したがって、かかる予備処理工程は勿論のこと、その具体的手段について何らの記載はない。

なお、引用例1に記載された唯一の予備処理としては、原料として予め乾燥した六方晶窒化硼素を用いるのが好ましい旨の記載(甲第3号証訳文6頁18行ないし19行)があるが、それは水を予め乾燥により除去した方がよいというだけであり、そのような乾燥処理によって酸化硼素までも除去されることはないことは、当業者にとって自明である。

しかるに、審決は、引用例1には、原料HBNに対して予め酸化硼素を除去するための予備処理工程を施すことを含む方法が記載されていると誤って認定した結果、本願発明と引用例1記載の発明とは原料HBNに対して予め酸化硼素を除去するための予備処理工程を施すことを含む点で一致すると誤って認定した。

<2> 相違点(c)についての判断の誤り

仮に、引用例1に酸化硼素を除去するための予備処理工程が示唆されているとしても、審決は、相違点(c)についての判断を誤った。すなわち、

引用例1に示唆された予備処理工程を本願発明の必須の構成要件である「減圧焼成で達成し、かつグラファイト状六方晶窒化硼素熱分解範囲の温度で行ない、硼素の被覆を酸化物不含六方晶窒化硼素の表面に発生させること」を示唆する記載はおろか、どのような手段を講ずればよいかについての開示は一切ない。そして、原料窒化硼素の表面より酸化硼素を除去する手段としては、窒化硼素にアンモニアガスを流しながら、減圧下に比較的低温で加熱する方法、表面酸処理を施す方法等があるが、これらの方法では硼素の被覆は発生しない。そして、酸化硼素の除去を目的とするかぎり、これらの方法で充分である。したがって、当業者として、酸化硼素の除去のための予備処理工程を減圧焼成により達成することや、それに続き硼素被覆を生ぜしめることを容易に想到するものではない。

(a) 引用例1記載の発明は六方晶窒化硼素を高温高圧下に立方晶窒化硼素に直接変換する技術に関するものであるのに対し、引用例2記載の発明は、アルカリ金属溶融塩を用いた電気化学的電池における絶縁体及び(又は)隔離(セパレーター)材料として用いられる窒化硼素の精製技術に関するものであり、そのために窒化硼素中の酸化硼素及び元素状硼素を除去しようとするものであるから、両者は技術分野を異にするものであり、それぞれの目的、作用、効果も異なり、その間に技術的関連はない。したがって、いずれかの技術を他方の技術に適用することは当業者が容易に想到することではない。

(b) 引用例2記載の窒化硼素の精製法において、真空加熱処理(減圧焼成)による酸化硼素を除去する第1段の工程はあくまでもアルカリ金属溶融塩を用いた電気化学的電池における絶縁体及び(又は)隔離材料という特定の技術での使用を前提とするものであり、それに続く塩素化による元素硼素(真空加熱処理により生じたもの)を除去する第2段の工程と一体不可分的に結合しているものである。したがって、当業者としてはかかる二つの工程を分離して、第1段の工程を他の技術に適用することを想到することは容易ではない。

(c) しかるに、審決は、「元素状硼素の生成、存在を特に排除する必要性はない、ないしは元素状硼素を生成させることまでも意図するかぎりにおいては、引用例2の第1段の元素状硼素の生成を伴う酸化硼素の完全分離手段、すなわち真空加熱処理を引用例1に適用することに何ら格別の困難性はない。」と引用例2記載の第1段処理のみを取り上げて引用例1に記載された発明への適用性を論ずることを正当化しようとするが、そのような前提は引用例1、2のいずれにも記載はなく、また本願出願前、公知でもなく、かかる前提、特に本願発明における元素状硼素の被覆の必要性とその効果は本願発明者らが初めて見出したところである。

したがって、引用例2記載の精製法のうち第1段のみを第2段から切り離して引用例1記載の方法に適用せしめることが容易であると判断するには合理的根拠がない。

(d) さらに、審決は、本願発明の相違点(c)に係る構成の効果も予想し得るところを出ないと判断したが誤りである。

本願発明は六方晶窒化硼素を高温高圧下に立方晶窒化硼素に直接変換するとともに生成した立方晶窒化硼素を焼結させるという特定の方法に関するものであり、変換に先立ち、原料の六方晶窒化硼素に対して減圧焼成による予備処理を施し、この予備処理により該六方晶窒化硼素の表面より酸化硼素を蒸発除去させ、さらに、酸化硼素が除去された六方晶窒化硼素表面に硼素の被覆を発生せしめることを特徴とするものである。そして、かくすることにより、触媒を用いることなく、工業的に有利に採用し得る圧力(55~80キロバール)のもとに六方晶窒化硼素から立方晶窒化硼素への直接変換を可能ならしめるとともに優れた性質を具備した立方晶窒化硼素焼結体を一挙に形成せしめることができたのである。このような方法と効果は本願発明により初めて達成されたものである。

すなわち、従来の直接変換法では100キロバールの如き高い圧力を要していた(米国特許第3212852号-甲第2号証2欄末行ないし3欄1行)のに対し、これにより有意に低く工業的に有利な圧力(55~80キロバール)での実施を可能ならしめたのであるから、本願発明は格別の効果を奏するものである。かかる効果は、原料の六方晶窒化硼素に対する特定の予備処理すなわち減圧焼成により酸化硼素を除去し、かつ酸化硼素を除去した後の六方晶窒化硼素の表面に硼素の被覆を生ぜしめたことによるものである(甲第2号証6欄25行ないし29行、7欄22行ないし26行)。

本願発明の他の効果は、研削用に使用したとき、従来の触媒法(例えば米国特許第2947617号)により得られた立方晶窒化硼素の単結晶体に少なくとも等しい性能を発揮する立方晶窒化硼素の多結晶体を得ることである(甲第2号証5欄10行ないし14行)。実施例1及び応用例1から明らかなとおり、本願発明の方法で得られた立方晶窒化硼素多結晶焼結体を用いた研削砥石は触媒法により得られた立方晶窒化硼素単結晶体のみを用いた研削砥石に比して顕著に優れた研削性能を発揮している。かかる効果は、本願発明における予備処理工程で酸化硼素が除去され、硼素被覆が生成するために、原料六方晶窒化硼素が再酸化され、その結果、立方晶窒化硼素への変換が妨害されるのが防止され、変換工程自体も促進されるとともに、生じた多結晶体の焼結にも良い結果がもたらされることによるものである(甲第6号証)。以上のような効果は、引用例1及び2からは予測できないものである。

第3  請求の原因に対する認否及び被告の反論

1  請求の原因1ないし3は認め、同4の主張は争う。審決の認定及び判断は正当であって、取り消すべき違法はない。

2  被告の反論

(1)  引用例1には、予備処理工程は開示されている。

引用例1が「水分・酸化硼素」について言及するところからすると、原料中に「水分・酸化硼素」が存在する場合が通常あり得るからであり、これらが原料に含有されて反応帯域中に持ち込まれる場合についていうものであり、持ち込まれた水分・酸化硼素が変換反応に悪影響があることをいうものである。すなわち、引用例1記載の発明は、その原料として水分・酸化硼素を含まないものもあるいは含むものも含むものであり、前者においては予めこれを除去する予備処理工程を要するものではないが、後者の場合あるいは前者たることが判然としない場合にはこの予備処理工程を要するものである。

審決において、「予備処理工程を含み」としたところは、後二者について引用例1記載の発明のこの事実をみているのである。

(2)  相違点(c)の判断について

<1> 引用例1記載の発明と引用例2記載の発明とは技術分野は共通である。

引用例2記載の発明は、特定の用途に関連してなされた窒化硼素の精製技術であるが、一般に化学物質の精製技術は汎用性のあるものであるから、同発明を汎用性のない特定の用途にのみに結び付いた技術であると限定して解する理由はなく、それ自体が汎用性を備えた精製技術というべきである。したがって、引用例2記載の発明が引用例1記載の発明と技術分野を異にするとはいえない。

<2> 引用例2記載の発明における元素硼素の真空加熱処理を引用例1記載の発明に適用することに格別の困難性はない。

引用例1記載の発明は、六方晶窒化硼素を立方晶窒化硼素に変換するに際して、出発原料の窒化硼素中の水分・酸化硼素の分離・除去を要する技術である。

一方、引用例2記載の発明は、酸化硼素以外にも元素状硼素をも分離・除去する窒化硼素の精製法であり、その解決手段は二段階工程からなるものであるが、各段階の工程はそれぞれ被分離成分を異にするもので、第1段階の工程は酸化硼素を分離・除去する(但し、元素状硼素を生成する。)手段であり、第2段階の工程は前段の工程によって生ずる元素状硼素を分離・除去する手段であり、互いに切り離し得る独立した分離手段である。

両工程を結びつけてなる分離・精製手段にしても、あるいはその第1段階の分離手段にしても、これらは酸化硼素を分離・除去し得るものである以上、窒化硼素を利用しようとするにおいて、そこに含まれる酸化硼素が障害となり、これを分離・除去せざるを得ない場合においては、いずれもこれに応え得る手段であり、引用例1記載の発明に対しては、その酸化硼素除去手段として適用可能なものである。

審決は、このような見解にたって、引用例2記載の発明における元素硼素の真空加熱処理を引用例1記載の発明に適用することに格別の困難性はないと判断したものであって、その判断に何ら誤りはない。

<3> 本願発明の相違点(c)に係る構成の奏する作用効果について

本願発明において、窒化硼素の表面に硼素の被覆を発生させることに格別の作用効果を奏するものとはいえない。

(a) 本願明細書には、この点に関し、「減圧焼成は粉末を大気に再曝露したとき再酸化に対して粉末を不活性化させるものと思われる。それは減圧焼成中発生する硼素の表面層がHBNのCBN変換工程を接触作用させることで理論付けられる。」(甲第2号証7欄22行ないし26行)と記載されていにすぎず、硼素の被覆を発生させていない酸化硼素を含まないものとの確たる比較及び評価に基づいたものではなく、あくまで推定の域を出ないものである。

(b) 甲第6号証の実験Ⅰについて

乙第1号証には、硼素は「硝酸には容易に酸化されてホウ酸、酸化窒素などを生ずる」と記載されている。

乙第2号証には、「濃塩酸、フッ化水素酸などと熱しても作用せず、熱濃硝酸や硫酸とはわずかに作用してホウ酸となる」と記載されている。

乙第3号証には、「濃硝酸、王水および溶融アルカリなどによっても酸化されて、ホウ酸またはその塩となるが、濃硫酸には250℃以上の温度で、初めて犯される。」と記載されている。

以上の記載から、実験Ⅰ中の「硝酸処理(濃度67重量%、120℃)」は、元素状硼素の被覆に対しては、その表面を酸化してホウ酸(酸化硼素の含水化合物)とすることが予想されるだけであって、該被膜の除去手段たり得ないものであり、しかも、酸化硼素の含水化合物といえる硼酸を生成するところよりこの存在を嫌う引用例1記載の発明に適用した手段ともいえないものである。

したがって、実験Ⅰは、表面硼素の存否による効果の差を明らかにする実験とはいえず、また引用例1記載の発明に適った実験でもない。

(c) 甲第6号証の実験Ⅱについて

引用例1記載の発明のCBN焼結体は、HBN粉末を原料とするものであり、特に水分、酸化硼素を含まないHBN粉末を使用するが、これら不純物を含む粉末を使用する場合には、これらを予め除去した原料を用いるものであり、その結果得られる製品の機械的特性、切削性能は極めて優れているものであることは審決に摘示するところであり、引用例1に明記されている(甲第3号証訳文7頁13行ないし17行、同7頁、8頁実施例1)。

したがって、実験Ⅱによっても「元素状硼素の被覆」を残すことが格別のものだとすることはできない。そして実験Ⅱ中の「減圧焼成処理しないもの」は、酸化硼素を含む原料粉末であるから、引用例1記載の発明に適った実験とはいえないものである。

(d) 甲第6号証の実験Ⅲについて

実験Ⅲのアンモニア高温処理は、水(湿度)を副生するものである点で、酸化硼素のみならず水分をも除去すべきことを示唆する引用例1記載の発明に適った処理であるとはいえないものである。

副生した水は、高温下で窒化硼素と反応して酸化硼素を生成したり、あるいは未反応酸化硼素と反応して酸化硼素の含水化合物といえる硼酸を生成して再度捕捉されることが予想されるものである。このことは窒素処理による酸化硼素の除去に際し、湿分が少しでも存在すると、BNからB2O3を除去するよりむしろBNからB2O3を形成する危険をもたらすとする引用例2の記載(甲第4号証訳文3頁16行ないし18行)からもいえるものであり、矛盾しない。

なお、実験Ⅲの処理条件にさらに水分問題にも留意した他の条件を加えることにより、酸化硼素を完全に消滅させることができるとしても(非常に困難なことと予想される。)、これは特異な条件設定によるものであり、酸化硼素の存在を嫌う、したがってこれを完全に除去しようとする技術分野においてはもはや普通に知られた手段ともいえないものである。

第4  証拠関係

証拠関係は本件記録中の書証目録の記載を引用する(書証の成立についてはいずれも当事者間に争いがない。)。

理由

1(1)  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いはない。

(2)  審決の理由の要点中(2)(引用例の記載)(「前述(ⅱ)の記載は、反応帯域中に導入する原料HBNについても水分及び酸化硼素はこれを予め取り除くべきことを意味するものであり、すなわち、引用例1には、原料HBNを予め酸化硼素を除去する予備処理工程を含み」との部分を除く。)、(3)(本願発明と引用例1記載の発明との対比)(但し、原料HBNを予め酸化硼素を除去する予備処理工程を含む点を除く。)、(4)(相違点についての判断)<1>及び<2>は、当事者間に争いがない。

2  本願発明の概要

甲第2号証(本願発明に係る特許出願公告公報、(以下「本願明細書」という。)には、次の記載があることが認められる。

「本発明は、立方晶窒化硼素の製造法に関する。」(1欄21行)

「本発明の目的は研削用に使用したとき、前記米国特許第2947617号に記載された方法に作られた如き、単結晶の触媒生長させたCBNに少なくとも等しい、多結晶質のCBN研摩材をHBN粉末から作ることにある。」(5欄10行ないし14行)

3  審決の取消事由について

(1)  まず、引用例1に酸化硼素を除去する予備処理工程が記載されているか否かについて検討する。

前記審決摘示の引用例1の記載によれば、引用例1記載の発明は、50~90キロバールの圧力、1800℃~3000℃の温度で、HBN(六方晶窒化硼素)の直接変換によりCBN(立方晶窒化硼素)を製造する方法に関するものであり、引用例1には、反応帯域中に水分及び酸化硼素が存在すると変換反応に悪影響を及ぼすことから、この点にも注意を払うべきことが開示されている(甲第1号証3頁16行ないし4頁16行)ことが認められる。

しかしながら、上記記載のみでは、酸化硼素が反応帯域中のどこにどのように存在しているものであるか、また、その悪影響を避けるためにどのような手段を採用すればよいのかは明らかでないが、甲第3号証(米国特許第4150098号明細書、引用例1)には、上記記載で審決が摘示している箇所(3欄15行ないし19行)以外に酸化硼素の存在について触れる箇所はないと認められる。

しかして、甲第3号証によれば、引用例1に記載された反応帯域といえるのは、原料HBNに高温、高圧を付加する反応器しかなく、原料以外の外部から酸化硼素が混入する可能性も認められないのであるから、上記記載中の反応帯域に酸化硼素が存在するとするならば、原料からもたらされたものと考えられるところ、同号証には、原料HBNについて、「97-98%の窒化硼素を含む六方晶系の窒化硼素(N~43%、B2O3~0.1%、C~0.6%、B~54%、他の不純物~2.3%)の工業用の粉末の形のものである。」(3欄4行ないし7行、訳文6頁8行ないし10行)と、原料中に酸化硼素B2O3が存在していることが記載されていると認められる。

してみると、引用例1の反応帯域中に酸化硼素が存在すると変換反応に悪影響を及ぼすことからこの点にも注意を払うべきであるとの上記記載は、当業者であれば、原料中の酸化硼素が悪影響を及ぼすので、原料中の酸化硼素を予め除去しておく方がよいということは自明であると認められる。したがって、引用例1の上記記載は、酸化硼素を除去する予備処理工程を示唆していると解されるから、審決の、引用例1記載の発明と本願発明とは原料HBNを予め酸化硼素を除去する予備処理工程を含む点で一致するとの認定に誤りはない。

(2)  次に、引用例1記載の発明に示唆された予備処理工程に、引用例2記載の発明の工程を適用して、本願発明の相違点(c)に係る構成である、酸化硼素の除去手段を「減圧焼成で達成」し、かつ「グラファイト状六方晶窒化硼素熱分解範囲の温度で行ない、硼素の被覆を酸化物不含六方晶窒化硼素の表面に発生させる」構成とすることが容易であるか検討する。

<1>  本願明細書の特許請求の範囲の、「グラファイト状六方晶窒化硼素の表面から酸化硼素を除去する予備処理工程を含み、この、予備処理工程を減圧焼成で達成し、かつグラファイト状六方晶窒化硼素熱分解範囲の温度で行ない、硼素の被覆を酸化物不含六方晶窒化硼素の表面に発生させること」との記載、及び、本願明細書の発明の詳細な説明の項の、「好ましい予備処理工程は揮発性不純物、特に表面酸化物汚染(酸化硼素)を除去するためHBN粉末を減圧加熱または焼成することからなる。その理由は酸化硼素を除去することによってCBNへの変換を妨害するのを阻止し、かつそれによって生ずる遊離硼素の量を増大させることにある。HBN供給原料粉末の減圧焼成は、表面酸化物汚染のガス脱きに加えて、酸化物を含まぬ粉末粒子の表面に遊離硼素の薄い被膜を生ぜしめるHBN熱分解温度範囲で行う。」(甲第2号証6欄23行ないし32行)、「減圧焼成は粉末を大気に再曝露したとき再酸化に対して粉末を不活性化させるものと思われる。それは減圧焼成中発生する硼素の表面層がHBNのCBN変換工程を接触作用させることで理論付けられる。この硼素の表面層はグラファイト状六方晶窒化硼素(GBN)の場合には、PBNの場合とは対照的にそれらの相対的純度の結果として必ず必要であると考えられる。」(同号証7欄22行ないし29行)との記載に徴すれば、本願発明は、原料窒化硼素から酸化硼素を除去し、発生する硼素の被覆を積極的に利用する技術として、相違点(c)に係る構成を採用したものと認められる。

しかるところ、前記(1)のとおり、引用例1には、酸化硼素を除去する予備処理工程を示唆していると解されるものの、甲第3号証(引用例1)には、その予備処理工程においてどのような予備処理手段を採用すればよいのかについては、何ら示唆する記載はなく、また、予備処理工程において酸化硼素が除去された後の原料HBNに元素状の硼素が生成するか否かあるいは発生する硼素被覆を積極的に利用することについても何らの記載はなく、また、かかる点を示唆する記載もないと認められる。

一方、審決摘示の引用例2の記載によれば、引用例2記載の発明は、窒化硼素を、酸化硼素を蒸発するに充分な時間及び温度にて真空中で加熱処理する第1の工程と、塩素に曝し、前記工程中に形成された元素状硼素を塩素化し、元素状硼素を三塩化硼素として除去する第2の工程からなる窒化硼素の精製(高純度化)方法であって、第1の工程中に形成された元素状硼素は第2の工程で除去されるものであるから、引用例2記載の発明には、元素状硼素を残存させて利用するという技術思想はないと認められる。

以上によれば、原料窒化硼素から酸化硼素を除去し、発生する硼素の被覆を積極的に利用するという技術思想は、引用例1、2のいずれの発明にも開示されていないのであるから、引用例1記載の発明に示唆されている酸化硼素を除去する予備処理工程として、引用例2記載の発明の第1の工程を適用して、本願発明の相違点(c)に係る構成とすることは、当業者が容易に想到することではないと認められる。

なお、原告は、引用例1記載の発明と引用例2記載の発明とは、技術分野を異にするものであるから、いずれかの技術を他方の技術に適用することは当業者が容易に想到することではないと主張するが、甲第4号証(米国特許第4089931号明細書、引用例2)によれば、引用例2記載の発明は、アルカリ金属/溶融塩電気化学電池、特に反応性の小さい合金化リチウム電池における窒化硼素の有効寿命を増大させるため窒化硼素の超精製に関する(訳文3頁3行ないし5行)ものと認められ、特定の用途に関連してなされた窒化硼素の精製技術であるが、一般に化学物質の精製技術は汎用性のあるものであるから、同発明を汎用性のない特定の用途にのみに結び付いた技術であると限定して解する理由はなく、それ自体が汎用性を備えた精製技術というべきであるから、前記審決摘示の引用例1の記載によれば、六方晶窒化硼素を高温高圧下に立方晶窒化硼素に直接変換する技術に関するものである引用例1記載の発明と技術分野を異にするとはいえない。したがって、原告のこの点についての主張は理由がない。

しかして、審決は、「元素状硼素の生成、存在を特に排除する必要性はない、ないしは積極的に元素状硼素を生成させることまでも意図するかぎりにおいては、引用例2の第1段の元素状硼素の生成を伴う酸化硼素の完全分離手段、すなわち真空加熱処理を引用例1に適用することに何ら格別の困難性はない。」(甲第1号証8頁19行ないし9頁5行)と判断するところ、これについて、被告は、引用例2記載の発明の二つの工程は、互いに切り離し得る独立した分離手段であり、第1段階の分離手段は、酸化硼素を分離・除去し得るものである以上、引用例1記載の発明において、窒化硼素に含まれる酸化硼素が障害となり、これを分離・除去せざるを得ない場合においては、その酸化硼素除去手段として適用可能なものであると主張する。

しかしながら、前記のとおり、本願発明は、「硼素の被覆を酸化物不含六方晶窒化硼素の表面に発生させる」ことを構成要件とし、硼素の被覆を積極的に利用する技術であるから、硼素の被覆を積極的に利用する技術思想がない限り、元素状硼素の生成、存在を特に排除する必要性はないからといって、元素状硼素を除去する第2段階の工程を前提とする第1段階の工程の元素状硼素の生成を伴う酸化硼素の完全分離手段を切り離して採用する動機は見出し難い。審決は、「元素状硼素の生成、存在を特に排除する必要性はない、ないしは積極的に元素状硼素を生成させることまでも意図するかぎりにおいては」との前提に基づいて、引用例1記載の発明に引用例2記載の発明を適用することに格別の困難性はないと判断したものであって、上記のとおり、本願発明は、積極的に元素状硼素を生成することを意図し、生成した元素状硼素の被覆を利用するものであるから、引用例1、2記載のいずれの発明にも、「積極的に元素状硼素を生成させて利用する」という意図については、何ら示唆するところはない以上、審決の上記判断は、その前提において、誤っているといわざるを得ないものである。

(3)  次に、本願発明の構成要件である硼素の被覆の奏する作用効果について検討する。

本願明細書の発明の詳細な説明の項には、「減圧焼成は粉末を大気に再曝露したとき再酸化に対して粉末を不活性化させるものと思われる。それは減圧焼成中発生する硼素の表面層がHBNのCBN変換工程を接触作用させることで理論付けられる。この硼素の表面層はグラファイト状六方晶窒化硼素(GBN)の場合には、PBNの場合とは対照的にそれらの相対的純度の結果として必ず必要であると考えられる。」(甲第2号証7欄22行ないし29行)と、減圧焼成によって硼素の被覆を原料粉末の表面に発生させることの意義について記載されており、そして、同項には、実施例1として、「減圧焼成後、始め白色の粉末は遊離硼素の表面被膜により灰色外観になった。…減圧焼成粉末の変換と融合をするのに充分な温度で8分間約65~75キロバールで処理し」(同号証10欄38行ないし11欄4行)てCBNを得ることが記載され、さらに、同項には、応用例1として、実施例1で得たCBN粉末を研削砥石として研削試験を行ない、単結晶触媒生成CBNの対象例と比較しても研削比の高いことを確認している(同号証11欄14行ないし39行)ことが記載されていることが認められる。

以上によれば、本願明細書には、原料HBNの表面を硼素で被覆することでHBNのCBNへの変換工程を接触作用させ、それにより変換が起こり十分な焼結が達成されること、このCBNを用いて作った研削材の研削効果が高いことが記載され、その効果が実施例により確認されているものと認められる。

なお、被告は、原告主張の本願発明の相違点(c)に係る構成の奏する効果は硼素の被覆を発生させていない酸化硼素を含まないものとの確たる比較及び評価に基づいたものではなく、硼素の被覆の奏する効果はあくまで推定の域を出ないものであると主張する。

しかしながら、甲第6号証(宣誓書)の実験Ⅰによれば、市販のグラファイト状HBN粉末を、HBNの熱分解温度において表面のB2O3を除去するために減圧焼成し(15.7グラムを1750℃で45分間減圧焼成)、表面上に元素状硼素を発生させたものを二つの部分に分け、一方の部分を硝酸により酸処理し、減圧焼成により発生した過剰の硼素を除去し、これらの各部分の粉末1gを同じ高圧装置に仕込み62キロバールで1850℃にて加圧したところ、酸処理しなかった試料は、完全にCBNに変換され、酸処理して過剰の硼素を除去した試料はCBNに変換されなかったことが認められ、同号証の実験Ⅲによれば、前処理によりB2O3を除去するが硼素被覆を発生させない試料を、実験Ⅰと同じ高圧装置に仕込み、未処理粉末の変換が得られる条件下に加圧しても、変換が認められなかったことが認められる。これによれば、減圧焼成により酸化硼素を除去し、かつ硼素被覆を生じさせるときには、酸化硼素を除去するのみより優れていること、すなわち、硼素被覆の存否による効果の差を認めることができる。

被告は、乙第1(化学大辞典8)、第2(岩波理化学辞典第3版増補版)、第3号証(新版無機化学上巻)の記載から、実験Ⅰ中の「硝酸処理(濃度67重量%、120℃)」は、元素状硼素の被覆に対しては、その表面を酸化して硼酸(酸化硼素の含水化合物)とすることが予想されるだけであって、該被膜の除去手段たり得ないものであり、しかも酸化硼素の含水化合物といえる硼酸を生成するところよりこの存在を嫌う引用例1記載の発明に適用した手段ともいえないものであり、実験Ⅲのアンモニア高温処理は、水(湿度)を副生するものである点で、酸化硼素のみならず水分をも除去すべきことを示唆する引用例1記載の発明に適った処理であるとはいえないものであると主張する。

たしかに、乙第1ないし第3号証によれば、硼素は硝酸で酸化されて硼酸などを生じると認められるが、甲第7号証(THE MERCK INDEX)によれば、微細化された硼素は沸騰硝酸に可溶であり、同第9号証(宣誓書)によれば、硝酸処理(濃度67重量%、120℃)されたHBN粉末粒子には遊離の硼素、酸化硼素又は硼酸の存在が検出されなかったことが認められるから、上記実験Ⅰにおいて、硝酸処理(濃度67重量%、120℃)」は、元素状硼素の被覆に対しては、その表面を酸化して硼酸(酸化硼素の含水化合物)とすることが予想されるだけであって、該被膜の除去手段たり得ないとの被告の主張は理由がなく、また、実験Ⅲのアンモニア高温処理による酸化硼素の除去において、アンモニアガスの流動条件下では、生成水は逐次直ちに除去されるのであるから、副生水による逆反応は考え難く、被告の主張は失当である。

したがって、本願発明において、窒化硼素の表面に硼素の被覆を発生させることに格別の作用効果を奏するものとはいえないとの被告の主張は採用できない。

(4)  よって、審決の、「本願発明の相違点(c)は、引用例1の立方晶窒化硼素を得る方法の技術を引用例2の精製技術の適用によって行なうものにすぎず、当業者の容易になし得る程度のことであり、その効果も予想し得るところを出ない。」(甲第1号証9頁6行ないし10行)との判断は誤りであるから、原告の取消事由は理由がある。

4  以上のとおり、本訴請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 押切瞳)

平成5年(行ケ)第44号審決取消請求事件

判決

東京都港区西新橋1丁目3番12号

原告 日本石油株式会社

同代表者代表取締役 大澤秀次郎

同訴訟代理人弁護士 岡澤英世

同訴訟復代理人弁理士 森田順之

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告 特許庁長官

高島章

同指定代理人 和田靖也

同 市川信郷

同 関口博

同 吉野日出夫

主文

特許庁が昭和63年審判第19675事件について平成5年1月28日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1 当事者の求めた裁判

1 原告

主文と同旨の判決

2 被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2 請求の原因

1 特許庁における手続の経緯

原告は、「ターボチャージヤ付エンジン用マルチグレードエンジン油組成物」と題する発明(以下「本願発明」という。)について、昭和57年12月28日、特許出願をした(昭和57年特許願第229582号)が、昭和63年10月25日、拒絶査定を受けたので、同年11月24日、審判を請求した。特許庁はこの事件を昭和63年審判第19675事件として審理し、平成2年2月16日、出願公告した(平成2年特許出願公告第7359号)が、特許異議の申立てがあり、平成5年1月28日、上記申立ては理由があるとの決定とともに、上記請求は成り立たない、とする審決をし、その審決書謄本を平成5年3月10日、原告に送達した。

2 本願発明の要旨

「動粘度1.5~13cst(100℃)の鉱油および/または、ポリ-ポリーα-オレフイン油、ジエステル油およびポリオールエステル油より選ばれる一種または二種以上の合成油を基油とし、

(A) 動粘度16~45cst(100℃)の鉱油および/またはポリ-α-オレフイン油3~40重量%、および

(B) 粘度指数向上剤0.5~15重量%

を必須成分として含有する

ことを特徴とするターボチャージャ付エンジン用マルチグレードエンジン油組成物。」

3 審決の理由の要点

(1) 本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2) A.L. Burrowsら著 SAE Technical Paper Series 811227「Optimized Lubricants For Turbocharged Passenger Car Engine」7、8頁、1981年 Society of Automotive Engineers Inc.発行(以下、「引用例1」という。)には、ターボチャージャ付乗用車エンジンに適する潤滑油に関し、水素処理された鉱油又は合成炭化水素を基油とした油類は、酸化又は熱的安定性のうえで従来に比較して優れた特性を有していること、さらに粘度指数向上剤などの添加物の添加も有効であること、鉱油とポリ-α-オレフインの組成割合を種々変化させること及びその組成割合を変化させた油がHDTテスト及びHTOCテストに関し良好な結果をもたらすことが記載されている。

(3) 本願発明と引用例1記載の潤滑油(以下「引用例1の潤滑油」という。)を対比すると、両者は、ターボチャージャー付エンジン用潤滑油組成物に関し、鉱油にポリ-α-オレフイン及び粘度指数向上剤を添付する点で一致しており、前者は基油となる鉱油および/または合成油の動粘度、添加成分(A)の鉱油および/またはポリ-α-オレフイン油の動粘度と重量組成割合、及び添加成分(B)の粘度指数向上剤の重量組成割合の各値の範囲を特定しているのに対して、後者はこれらの値を特定していない点で相違している。

(4) 相違点についてみると、「潤滑」26巻10号5頁(以下、「引用例2」という。)には、ディーゼルエンジン用潤滑油に関し、粘度指数向上剤、175ニュートラル油及び150ブライトストック油からなり、具体的に重量%でその組成が示されている組成物を試験油とした試験結果が示されている。この試験油(以下「引用例2の潤滑油」という。)を構成する成分である175ニュートラル油及び150ブライトストック油は、日本潤滑学会編「潤滑用語集」67、81、51頁(昭和56年7月20日株式会社養賢堂発行、以下、「引用例3」という。)、藤田稔ら編ドライポロジー叢書2.「新版潤滑剤の実用性能」73~75頁(昭和55年12月25日株式会社幸書房発行、以下、「引用例4」という。)、川瀬義和ら編「石油精製技術便覧(第3版)」791頁(昭和56年10月19日産業図書株式会社発行、以下「引用例5」という。)の各記載のもとに検討すると、それぞれ100℃の動粘度5.23~5.72cstの鉱油、100℃の動粘度が30~33cstの鉱油であることが明らかである。そして、引用例2の150ブライトストック油及び粘度指数向上剤の組成重量割合はそれぞれ本願発明で定める(A)の鉱油及び(B)の粘度指数向上剤の組成重量割合に含まれているものであるから本願発明でその対象としているマルチグレードエンジン油を構成する各成分とその粘度及び重量組成は本出願前公知であると認められる。

ところで、本願発明のターボチャージャ付エンジン用潤滑油を定める場合にあっては、引用例1記載の前記鉱油及び合成油を基油とし、鉱油にポリ-α-オレフイン(本願発明の(A)成分)及び粘度指数向上剤(本願発明の(B)成分)を用いることが有効であることが知られている以上、これと同一の、従来から存在するエンジン油に着目し、適用可能性を調査することは極めて通常行われていることであることを考慮すると、引用例1の潤滑油と同様の構成成分からなる従来から知られている引用例2の潤滑油について適用可能性を調べることは当業者が適宜なし得た程度のことであり、この点に技術上格別の工夫があったものとも認められない。もっとも、引用例1の潤滑油の構成部分の中で本願発明のエンジン油の(A)成分に相当する成分はポリ-α-オレフインであるのに対して、引用例2の潤滑油の(A)成分に相当する成分は鉱油であるから、成分において相違が認められるが、粘度が同じ範囲であり、鉱油もポリ-α-オレフインも同じようにエンジン用潤滑油として用いられているから、エンジン用潤滑油としてみるかぎりにおいて格別相違するものとも認められない。

そして、その結果得られる効果にしても、従来既に知られているターボチャージャ付エンジン用潤滑油組成物について、その組成物を構成する、油の粘度及び重量割合並びに粘度指数向上剤の重量割合を確認したにとどまり、予期し得ない程度のものとは認められない。

(5) したがって、本願発明は、前記各引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明し得たものと認められるから、特許法29条2項により特許を受けることができない。

4 審決の取消事由

審決の認定判断のうち、審決の理由の要点(1)ないし(3)は認めるが、同(4)、(5)は争う。審決は、引用例1の潤滑油の技術的意義を誤認した結果、相違点についての判断を誤り、本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法であり、取消しを免れない。

引用例1には、鉱油単独、鉱油とポリ-α-オレフインとの混合油及びポリ-α-オレフイン単独の各種基油に、同一の添加剤パッケージと粘度指数向上剤を配合したSAE10W-40のマルチグレード油が記載されている。これに対して、引用例2には、175ニュートラル油と150ブライトストック油の混合油に粘度指数向上剤が添加されたディーゼル用エンジン油が記載されている。

ところで、引用例1の潤滑油は、上記のとおり、いずれもSAE10W-40の粘度の潤滑油であるから、これを構成する基油及びポリ-α-オレフインの100℃における動粘度は12.5cst未満である。なぜなら、SAE10W-40のマルチグレード油の100℃における動粘度は12.5~16.3cstの範囲内であり、引用例1の潤滑油には基油及びポリ-α-オレフインの他に粘度指数向上剤が添加されているところ、粘度指数向上剤は高温における動粘度を高める目的で添加するものであり、これを添加した結果、上記12.5~16.3cstの範囲の動粘度が得られるということは、基油及びポリ-α-オレフイン自体の100℃における動粘度が12.5cst未満であることを物語っているからである。そして、引用例1の潤滑油は、前記のとおり、基油が鉱油単独、鉱油とポリ-α-オレフインの混合油、ポリ-α-オレフイン単独の各場合があるところ、これらのいずれにおいても粘度指数向上剤を添加してSAE10W-40のマルチグレード油としていることからみて、引用例1の潤滑油を構成する鉱油及びポリ-α-オレフインの100℃における動粘度はいずれも12.5cst未満であることは明らかである。したがって、ポリ-α-オレフインが本願発明の(A)成分に相当するとしても、その動粘度は12.5cst未満であるといわなければならない。

これに対して、引用例2に記載の150ブライトストック油の100℃における動粘度は審決が認定するように30~33cstであって、引用例1記載の潤滑油を構成するポリ-α-オレフインと動粘度を異にすることは明らかである。

したがって、引用例1の潤滑油と引用例2の潤滑油の構成成分及び粘度が同様であるとした審決の認定が誤りであることは明らかである。

また、審決は、「鉱油もポリ-α-オレフインも同じようにエンジン用潤滑油として用いられているから、エンジン用潤滑油として見るかぎりにおいて格別相違するものとも認められない」とするが、引用例1の潤滑油においては、エンジン用潤滑油として用いる場合の鉱油とポリ-α-オレフインの効果の相違を論じながら、他方において、引用例1の潤滑油と引用例2の潤滑油の組合せの可否を論じる場合には、一転して、両者を格別相違するものではないとするものであって、矛盾するものといわざるを得ない。

さらに、ディーゼルエンジン用潤滑油のガソリンエンジン用潤滑油への適用の可否についての審決の判断も以下に述べるように誤りである。

ディーゼルエンジンは、ディーゼル軽油を燃料とし、シリンダー内に空気のみを吸入し、これを圧縮して空気温度を高め、高熱となったところへ燃料を噴射して自然発火、燃焼させる機構となっている。これに対して、ガソリンエンジンは、燃料であるガソリンと空気の混合気を作ってシリンダー内に吸入し、圧縮後点火プラグからの電気火花で点火燃焼させる機構となっている。以上のような、燃料及び燃焼機構の違いに応じて、エンジン油にも次のような差異が生ずる。すなわち、ディーゼルエンジンの場合は、高温、高圧での燃焼のために燃料粒子の中心部が酸素不足となって煤を発生し、それが潤滑油に混入する。また、ディーゼル軽油中の硫黄化合物は燃焼して亜硫酸ガスとなり、さらに空気と高温で反応して無水硫酸となり、これが水と共に凝縮して硫酸となり、潤滑油の劣化を引き起こす。このようなディーゼルエンジン特有の問題のため、ディーゼルエンジン用潤滑油には、ガソリンエンジン用潤滑油とは異なる清浄性、酸中和性等が求められる。したがって、当業者が、このように異なる特性を必要とするディーゼルエンジン用潤滑油について、ガソリンエンジン用潤滑油への適用可能性を調査することはないから、審決のこの点に関する判断は誤りである。

以上のとおり、引用例2記載のディーゼルエンジン用潤滑油をガソリンエンジン用潤滑油である引用例1の潤滑油に適用し、これを組み合わせて本願発明の相違点に係る構成を容易に想到できるとした審決の判断は誤りである。

第3 請求の原因に対する認否及び被告の主張

請求の原因1ないし3は認める。同4のうち、SAE10W-40のマルチグレード油の100℃における動粘度が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。審決の認定判断は正当である。

引用例2には、本願発明の成分と同一の粘度及び組成の基油、同一の粘度及び組成のA成分、並びに粘度指数向上剤から構成される潤滑油が記載されており、そのA成分に相当する150ブライトストック油は鉱油である。そして、エンジン油として鉱油の代わりに合成潤滑油を用いることもよく知られていたところであり、その際にポリ-α-オレフインを使用することもよく知られていたところである。したがって、上記の鉱油をポリ-α-オレフインとしたことは格別なことではない。

また、ディーゼルエンジン用潤滑油とガソリンエンジン用潤滑油との関係についてみると、一般に、両者のエンジンの間には、ディーゼルエンジンの方がガソリンエンジンよりも(a)煤の混入が多い、(b)硫黄化合物が多い、(c)温度が高い、の3点の相違があるが、この3点以外ではガソリンエンジンの高温運転における問題がすべて適用されるとされており、ディーゼルとガソリンの双方に対して利用可能性を調べることもよく知られた事柄であるから、ディーゼルエンジン用潤滑油についてガソリンエンジン用潤滑油への適応を調べることも格別困難なことではない。

したがって、相違点についての審決の判断に誤りはない。

第4 証拠

証拠関係は書証目録記載のとおりである。

理由

1 請求の原因1ないし3並びに本願発明と引用例1の潤滑油との間に審決摘示の一致点及び相違点が存在することは当事者間に争いがない。

2 本願発明の概要

成立に争いのない甲第2号証(本願発明の出願公告公報)によれば、本願発明の概要は、以下のとおりである。

本願発明は、ターボチャージャ付エンジン用マルチグレード潤滑油組成物に関するものである(前記公報1欄14行ないし18行)。ターボチャージャ付エンジンにおいては、ターボチャージャが高温余熱に曝されるため、ターボチャージャ内での潤滑油のコーキングによるデポジットの生成により潤滑油の劣化が起こる。すなわち、高速運転したターボチャージャ付エンジンを停止した時、タービン側壁温度は300℃以上となり、ターボチャージャ内でエンジン油のコーキングが発生する。このため、潤滑油の流路が閉塞し、フローテイングメタルの焼付き、コーキングによるデポジットがフローテイングメタルとシャフト間に入ることによるフローテイングメタルの動きの異常や摩耗及び破損等のトラブルの原因となるおそれがある(同公報2欄7行ないし3欄4行)。また、現在、エンジン潤滑油として多用されているマルチグレード油をターボチャージャ付エンジンに使用した場合には、シングルグレード油を使用した場合以上にコーキングが顕著となり、多量のデポジットが発生することが判明した(前同欄11行ないし15行)。そこで、本願発明は、マルチグレード油が有する優れた特性を維持しながら、コーキングによるデポジットの生成が少ないターボチャージャ付エンジン用マルチグレード潤滑油組成物を提供することを課題として、前記要旨記載の構成を採択したもので(前同欄31行ないし4欄3行)、この結果、従来の市販されているマルチグレード潤滑油に比較して著しくデポジットの生成を減少させることができる作用効果を奏するものである(8欄22行ないし28行、第1表、第2表)。

3 取消事由について

(1) 最初に審決の構成をみると、審決は、本願発明と引用例1の潤滑油を対比し、両者は、共にターボチャージャ付エンジン用潤滑油組成物に関するもので、鉱油(基油)にポリ-α-オレフイン((A)成分)及び粘度指数向上剤((B)成分)を添付する点で一致するとし、本願発明が基油となる「鉱油および/または合成油」の動粘度、(A)成分の「鉱油および/またはポリ-α-オレフィン」の動粘度、重量組成割合、(B)成分の「粘度指数向上剤」の重量組成割合の各値を特定しているのに対して、引用例1の潤滑油はこれらの値を特定していない点で相違するとしたものであることは当事者間に争いのない前記審決の理由の要点から明らかであるから、結局、審決は、両発明は、基油である鉱油に対してポリ-α-オレフイン及び粘度指数向上剤を添加成分としたターボチャージャ付エンジン用潤滑油組成物である点において一致するとしたものである。そして、相違点について、上記審決の理由の要点からすると、引用例2の潤滑油は、<1>いずれも100℃における動粘度が5.23~5.72cstの175ニュートラル油(鉱油)、30~33cstの150ブライトストック油(鉱油)及び粘度指数向上剤から成るディーゼルエンジン用潤滑油であり、<2>150ブライトストック油と粘度指数向上剤の組成重量割合は、本願発明の(A)成分と(B)成分の重量割合に含まれるとした上で、引用例1の潤滑油との組合せの容易想到性について、引用例1の潤滑油と同様の構成成分からなる従来から知られているエンジン用潤滑油である引用例2の潤滑油について適用可能性を調べることは当業者が適宜なし得る程度のことであるとした上で、<1>成分の点について、鉱油とポリ-α-オレフインはエンジン用潤滑油として格別の相違はなく、代替可能であること、<2>粘度の点について、引用例1の潤滑油の組成成分である本願発明の基油に相当する鉱油及び同じくA成分に相当するポリ-α-オレフインの動粘度と引用例2の潤滑油の組成成分である175ニュートラル油(前記基油に対応する。)及び150ブライトストック油(同(A)成分に対応する。)の動粘度が同一範囲にあること、を指摘し、上記の<1>、<2>の成分及び動粘度からすると、引用例1の潤滑油と引用例2の潤滑油は同一であるから、本願発明の相違点に係る構成を想到するに当り、従来から知られている引用例2の潤滑油について適用可能性を調査することは当業者が適宜なし得たことであったとしたことは明らかである。

(2) そこで、相違点についての審決の上記判断の当否について検討する。

成立に争いのない甲第3号証(引用例1)によれば、引用例1の潤滑油の粘度は、SAE10W-40であると認められ(8頁TABLE9参照)、他にこれを左右する証拠はなく、そして、引用発明2の175ニュートラル油の100℃における動粘度が5.23~5.72cstであり、150ブライトストック油の100℃におけるそれが30~33cstであること及び引用例1の潤滑油のSAE10W-40のマルチグレード油の100℃における動粘度が12.5~16.3cstであることはいずれも当事者間に争いがない。

ところで、引用例1の潤滑油の上記動粘度は、前記のとおり粘度指数向上剤を含んだものであることを考慮すると、粘度指数向上剤を添加する前の引用例1の潤滑油の組成成分である鉱油及びポリ-α-オレフインの動粘度は上記値を更に下回ることは明らかであり、本件全証拠を検討しても、本願発明の(A)成分に相当する引用例1の潤滑油のポリ-α-オレフインの100℃における動粘度と引用例2の潤滑油の150ブライトストック油の100℃におけるそれが同じ範囲にあることを認めるに足りる証拠はない。

のみならず、なるほど、前記各事実によれば、本願発明の基油に相当する引用例1の潤滑油の鉱油についてみれば、引用例2の潤滑油の175ニュートラル油と100℃における動粘度が重複する部分を有することは認められるが、引用例1の潤滑油のポリ-α-オレフインの100℃における動粘度についてみると、前記のとおり、これが16.3cstを下回ることは明らかであって、引用例2の潤滑油の150ブライトストック油の100℃における動粘度である前記30~33cstと異なる範囲にあることは明白といわなければならない。

そうすると、本願発明の(A)成分に相当する引用例1の潤滑油のポリ-α-オレフインと引用例2の潤滑油の150ブライトストック油の100℃における粘度範囲が同一範囲にあるといえないことは明らかであるから、審決は両者の動粘度が同じ範囲にあるとした点において既に誤ったものといわざるを得ない。そして、本件全証拠を検討しても、引用例2の潤滑油の150ブライトストック油が動粘度を異にする引用例1の潤滑油のポリ-α-オレフインの動粘度を定める上で何らかの示唆を与え得ることを認めるに足りる何らの証拠もない以上、動粘度を異にする上記の150ブライトストック油を引用例1の潤滑油に組み合わせてその適用可能性を調査する技術的根拠はないから、上記の150ブライトストック油から相違点に係る本願発明の(A)成分の動粘度の構成の示唆を受けることが可能であるとした根拠はないといわざるを得ない。

以上の次第であるから、審決が本願発明の相違点に係る構成を容易に想到し得たとした判断の技術的前提である前項の<2>の認定は誤りであるといわざる得ず、結局、審決は、引用例1の潤滑油のポリ-α-オレフインの100℃における動粘度についての技術的理解を誤った結果、これが引用例2の潤滑油の150ブライトストック油の100℃における動粘度と同一範囲にあるものと誤認して、本願発明の相違点に係る構成を容易に想到し得たと誤って判断したものといわざるを得ない。

(3) したがって、審決の相違点についての判断は誤りであるから、取消事由は理由があり、審決は違法というべきである。

4 よって、本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第6民事部

裁判長裁判官 竹田稔

裁判官 関野杜滋子

裁判官 田中信義

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